洞察力

真剣(ガチ)×ゆるさ=生きる強さ

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「自立した」とは一体どういう状態かが一発でわかるフレーズ

どうしたら自立したといえるのか?

自分は本当に自立しているのか?

ふと、そんなことが頭によぎった。

 

言葉の意味を考えるときは、

  1. 広辞苑をひらく
  2. 英語にしてみる

このどちらかをためすと、新たな発見があるというジンクスを持っているので、朝から検索してみた。

すると、とあるサイトから「自立」を表すのにぴったりなフレーズを発見した。

 

I can make myself happy

日本語訳すると、

「私は自分で自分を幸せにできる」

 

うん、これだ。

 

他人に依存せず、自分の力で自分を幸せにできることが自立したということ。

やっぱり、幸せは与えられるものではなくて、自らつくり出せるようにならなきゃいけないんだな。

昨日書いた僕の子育て論も、あながち間違ってはいないと再認識。

ginjirot19880803.hatenablog.com

 

自分の「自立度」を知るための言葉

自立は百ゼロで語れるものではなく、どのくらい自立しているのか?という「自立度」的なもので判断するのがいいと思っている。

 

自立の対義語である「依存」という言葉を自分の生活に当てはめてみると、自分の自立度が見えてくる。

  • 収入源をひとつやふたつの場所だけに依存していないか?
  • 実家暮らしをして固定費や水道光熱費の出費を親に依存していないか?
  • 家に帰れば家族がいるという安心感に依存していないか?
  • デートのパターンがいつもおなじパターンに依存していないか?
  • イレギュラーな物事を目の前にするとすぐに尻込みして、解決を他人に依存していないか?

もっともたちが悪いのは、自分自身が自立していると思い込んでしまっていることだ。

これは自立する気がないという状態よりも深刻。

だから、「どこまで自分が自立できているのか」は、厳しく評価しなくてはいけない。

相手に自立を求めるならなおさらだ。 

自立度が低いと、自分でも気づかないうちに他人に負担をかけてしまう

もちろん、すべて完全に自立しなくても、生活することはできる。

 

ただ、自立度の低い人との人間関係を保つのは、精神的にとても負担がかかる。

 

自立度の低い人の代表が「子供」だ。

子供は本当に手がかかる。

赤ん坊なら理性なんてほとんどない。

こちらがペースを合わせてやらなきゃいけない。

機嫌をとってやらなきゃいけない。

ただ、自我もあるので世話をしすぎると嫌がる。

でも都合が悪いことがあると、すぐに助けを求める。

 

これは「子供だから」許されていることであって、子供のような大人は周囲にとってストレスにしかならない。

経済的にも精神的にも自立度が低いままだと、目が離せない、手が離せない。

落ち込んでいたら機嫌をとってやらなきゃいけない。

プライドがあると、あからさまに手を貸すわけにもいかない。

でもできないことがあると尻込みするから見守ってやらなきゃいけない。

 

ひとりの大人が、周囲の人間にここまで負担をかけさせる権利がどこにあるのだろう?

 

自立度が低くても本人は生活できなくはない。

 

ただ、自立度が低ければ低いほど、周囲にとっては迷惑でしかない。

 

また、自分に子供ができてからさらによく思うのが、「自立できていない親の子供が自立するわけがない」ということだ。

こういう過程で育つ子供が自立するとすれば、それは親を反面教師にした結果であって、親が手本になったわけではない。

 

これまでのように、同じ会社に長年いることが安泰という時代ではなくなってくる。

そういう時代に生きる必要のある今の子供たちの親として、自分自身の自立度を高くすることは必須ではないだろうか。

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